天理市在住のUFO研究家天宮清氏より、UFO目撃者取材報告が届いた。
それによると2003年9月7日、神戸上空に謎の白球群の飛来が目撃されたそうだ。
しかも、この目撃者はビデオでその模様を撮影しているらしいのだ。
最近のUFO飛来はこのように大群で目撃撮影されるケースが多くなっている(メキシコ等)。
それによると2003年9月7日、神戸上空に謎の白球群の飛来が目撃されたそうだ。
しかも、この目撃者はビデオでその模様を撮影しているらしいのだ。
最近のUFO飛来はこのように大群で目撃撮影されるケースが多くなっている(メキシコ等)。
以下が天宮氏のレポートである。
(文中の目撃者は私自身も10年ほど昔に会っていると思いますが、
さほど面識がないため、S氏とさせて頂きました)
(文中の目撃者は私自身も10年ほど昔に会っていると思いますが、
さほど面識がないため、S氏とさせて頂きました)
2003.9.7PM3:30 神戸上空の白球群映像について 2006年9月10日のOUC(大阪UFOサークル)ミニ・フォーラムに、神戸からS氏夫妻が参加し、同氏の撮影した映像の紹介で、S氏が2003年に撮影した「白球群」とみられる映像の存在を知った。このフォーラムの席で、山野氏のご配慮によりS氏から8ミリビデオテープを借りる事ができた。 その映像は、青空に白い小さな物体が散らばっている感じで、物体は小さいが、それぞれ円く見えた。また、散らばっている白球は、一見人為的な配置あるいは構成を示し、各々はまったく動かないままに見えたが、乾氏が「下のほうの2個が近づいている」と教えてくれた。しかし、その時は、その「動き」が確認できなかった。 私は自宅でS氏からお借りした8ミリテープを再生しながら、何本かVHSにダビングすることにし、その間に画像を観察した。その結果、フォーラムの席では未確認だった、「動き」が確認できた。 次にこの画像を何とかプリントにしようと、デジタルカメラの感度を最低のISO125にして、三脚に固定し、モニター画面を見ながら撮影することにした。 ビデオを一時停止にすると、白球が背景の青空に沈んで目立たなくなるため、映像を流しながら撮影することにした。シャッターボタンを押した時は、液晶画面がかなり白っぽくなり、モアレも生じたが、プリントしてみると、モニター画面で見たものに近い静止画が得られた。モアレの目立たないプリントも得られたが、この加減はよくわからない。 私はこの作業を開始してから、テープを郵送して返却するよりも、自ら撮影現場に行って取材すべきだという考えになり、山野氏からもらったS氏の住所に手紙を書いて送った。 それで、手紙が届いたようで、木曜日にS氏から電話があり、待ち合わせの時刻と場所がきまった。地図でみると阪急御影駅が近いようだったが、車の駐車の関係で、JR住吉駅北口に来てくれ、とのことであった。 土曜日の晩、思い立って「動き」のある部分が、よくわかるようにと、再び画面撮影を試みた。今度はカメラを画面に近づけて、その動きの部分だけを連続撮影してみた。 また、撮影中に一瞬写った特徴のある建物の場面を静止画面にして、その画面を撮影し、カメラの拡大率を調べる資料として持ってゆくことにした。またプリントの一枚もS氏に見せるために持参することにした。 他のプリントは24時間乾燥させないと定着しないので、机の上に並べておいた。 ビデオカメラだけでは拡大率が正確にわかるかどうか、不安だったので、300ミリ望遠カメラも持ってゆくことにした。方位測定器(コンパスグラス)、仰角測定器、小型三脚、ビデオカメラで、20年以上も使用している布製手提げは一杯になった。 2006年9月17日 午前8時に自宅を出発 天候晴れ。雲間が広く秋の雲らしい高い雲がたなびく。 しかし台風13号九州に接近とのこと。 8時16分、前栽発平端行きに乗る。(前栽→鶴橋 610円) 鶴橋着9:10 鶴橋発9:15 (鶴橋→住吉 540円) 大阪着9:30 9:36大阪発加古川行き快速 5番ホームから乗る。 JR住吉駅着9:56着。駅のコンビニでメモ帳を買う。我が家にコピー紙がなくなり、A4紙一枚だけをカバンに入れ、それに調べる項目や各駅の到着発車時刻などを書き込んで余白がなくなった由。 S氏と駅前で会う。二人でベンチに座り、奥さんの買い物を待つ。 10時過ぎS氏ご夫妻と駐車場へ。駐車場から遠方に六甲山の頂上とアンテナ群、そしてビデオに一瞬映っていた仏教的な建物が見える。奥様の運転でワゴン車でS宅へ向かう。かなりの勾配の登り坂をゆっくり走る。白い3階建てのビルに到着。 やや狭い外部の階段を昇って2階の応接間へ。段差の少ない階段に手作りの雰囲気を感じる。一瞬だがスーダンのホテルの階段を思い出した。 2階は大きなグランドピアノ、エレクトーンのある立派な部屋。壁一面にS氏が撮影した「キュービック型UFО」などの写真が額に入れられて掛かっていた。 まず、冷たい麦茶を戴き、喉の渇きを潤す。「当時のビデオカメラはまだありますか?」と聞くと、「まだ持っている」とのことで、「撮影状況を確認したいので、その時の撮影の姿勢を再現して下さい」と頼んだ。 階段で3階に上がり、ビデオデッキとテレビモニターのある部屋で、三脚とカメラを準備する。通常の三脚のとなりに、かなり立派な三脚ケースが見えた。S氏が奥様に指示してそれを開けると、実に見事な重量感のある三脚が姿を現した。しかし、大きい分、機動性の点で難があり、UFО撮影にはもっぱら簡単な三脚を使用している、とのこと。 ビデオカメラはSONY CCD-V800で、初期の8ミリビデオカメラなのでかなり大きい。最高倍率は10倍(10×)となっている。 準備が出来たので屋上に上がる。周囲に高い建物はなく、非常に見晴らしのよい展望台といった感じ。数人がここで観測できそうだ。私は上り口の山側に機材を広げたが、強い風で軽い物が吹き飛ばされそうになった。それに気付いた奥様が、風の当たらない反対側に荷物を移してくれた。 S氏は三脚に固定したビデオカメラの上向きの角度に限界があることを示した。つまり、カメラが大きく細長いため、ある角度以上は上を向かないのである。それで、それ以上の仰角にあった白球群に向けて、三脚の前方を上げて仰角を高くし、それで撮影した訳であった。 手前の足が屋上の床に接地していたため、かなり安定した画面になっていたわけだ。これで彼が「三脚を持ち上げて撮った」という意味がわかった。 仰角測定器で測ると、三脚に固定したカメラの仰角は、30度までが限度。彼が前方の足を持ち上げて撮った仰角は50度であった。 私は次に、映像に一瞬映っていた仏教的な建物のプリントを、300mm望遠カメラの視野を調節しながら、同じ視野にしてみると、300mm一杯とほぼ同じになった。約6倍ということになる。 S氏に、「どのくらいの倍率で撮影したか?」と聞くと、 「この目盛りの真中のあたり」と言い「真中といっても倍率は6倍か7倍らしい」と、どなたかカメラの専門家の意見を言ってくれた。 このタイプのズームアップは、指先一つで出来る最近のデジタルビデオと違って、レバーを動かすため、そう簡単にはゆかない。従って、撮影中に絶えず拡大率を変える映し方はしてないとみた。画像もそのように安定している。 倍率は6倍か7倍のあたりとみて良いだろう。私が1989年11月5日に万博公園で撮影した6倍の画像における白球と、ほぼ同じ大きさに見える。 ファインダーもモノクロであった。昼間に青空の中の白い目標を捉える困難さを私は痛感したのだが、このように群れになると、その迫力はいかほどであろうか。 方位測定器でカメラの向く方角を測ると「85度」E(東)よりやや北。6倍画面の水平視野は6.8度なので、S氏の向けた群れは10度以上の広がりをもっていたと推測される。空に向けた手のひらの巾が約10度の広がりである。その広がりに分布する様子は、まさに空一面と感じてもおかしくないだろう。 おおよその状況は把握できた。 S氏から、大群の飛来状況、上空を旋回、最期に上昇して消失など、説明を聞いたが、私は映像という「証拠」の検証のみに集中したいので、とりあえずこのレポートを閉じる。 いまふと思い出し、『東アジアの古代文化』1981夏 特集「巨石信仰と古代祭祀」という本に記載された「六甲巨石文化」を見ている。 2006.9.18 天宮清