ふじたいらの道草日記

自由にライターしています。旅、古代遺跡、UFO、大自然、昆虫、地震雲など、いろいろなモノに興味深々。楽しく、不思議でワクワクするようなネタを公開していきたいと思います。

2007年01月

そりゃ、そうだけど・・・

イメージ 1

イメージ 2

先日、南房総の名山、富山(とみさん)登山をしてきました。

この山は、里見八犬伝の舞台ともなった山です。

その登山の途中で、あまりにも簡単簡素完結な道標を見つけたので写真アップいたします。

山頂とか富山とか、もう一文字あってもと思うのですが・・・(^^;)>>>

なんちゅう、サッパリした道標やねん!!(>_<)/

屏風ヶ浦とケーキ

イメージ 1

イメージ 2 
▲くにゃくにゃの地層

千葉県北東部、銚子市名洗~旭市刑部岬まで10数キロに渡って

続く、高さ40~50メートルの断崖が屏風ヶ浦である。

イギリス・ドーバーの地形と似ている事から「東洋のドーバー」とも呼ばれている。

この地を取材で訪れ、軽食でも取ろうと寄った

「カフェマリーナ」という喫茶。

イメージ 3

場所は、銚子マリーナの目の前、遠方には屏風ヶ浦全体が見渡せる。

店舗には、喫茶棟と書かれていた・・・???

よーく見ると、ここは数年前に開校した千葉科学大学の喫茶棟であった。

が、しかし、こちらは、マリーナや海水浴場に隣接しているため、

一般の方々も自由に利用可能だという(ラッキー)。

さらに、メニューを見ると、
平日の11~14時は学生価格で飲食が出来ると書いてある(さらにラッキー)。

例えば、チキンドリア600円→400円 とんかつ定食700円→550円
    ビーフカレー600円→400円などなど

でも、学生で混み合っているんじゃないのぉ?と思われる方もいると
思いますが、学生達には別に学食棟があるので、ご安心を。
思ったより、ゆったりと食事を楽しむことが出来ます(プラス、ラッキー)。

イメージ 4
▲スポンジを地層に見たてた屏風ヶ浦という名のケーキ(260円)
(ケーキセットは、好きなケーキとドリンクバーで500円(通常価格))

銚子、屏風ヶ浦観光に訪れて、小腹がすいた時、お茶をしたい時には、お勧めです。
(結局、このお店も感じ良かったので、取材をさせてもらいました)
カフェマリーナ
銚子市潮見町15-8
無休・8時半~18時 ℡0479-25-5519

UFO映像解析

イメージ 1 
天理のUFO研究家、天宮清氏のブログによると、
2004年10月23日夕に天宮氏自身が撮影した「日航機とすれ違うUFO」
映像解析がアメリカのリチャード・へインズ博士から届いたらしい。
どのような解析がなされたか報告書が楽しみである。


イメージ 2
▲リチャード・へインズ博士は、1960年代半ばにNASAで科学調査員
をし、ジェミニ、アポロ、スカイラブ計画でも仕事をしていた方。
過去30年に渡り、説明不可能な空中での肉眼、レーダーによる目撃例を
調査している。

スナフキン

イメージ 1

 私はムーミンの大ファンである。

正確に言うと、その中の登場人物、スナフキンのファン。

さらに厳密に言うと、虫プロ制作の昔のムーミンに出てくる
ギターを持ったスナフキンが好きなのである(新しいムーミンではハーモニカになっている)。

冬が来るとムーミン谷を去り、また旅に出る。

春、雪が解ける頃になるとリュック・ギター・テントを
背負って帰ってくる。

旅で得た、豊富な経験や知識を持っていて、
それをムーミンにさりげなく教えるのである。

セリフの一つを抜粋しよう。

「大切なのは、自分のしたい事を、自分で知ってるって事だよ」


スナフキンは、少年~青年期にかけて私の師的、目標的存在の一人だった。
<サッカー選手が「キャプテン翼」を目標としたように・・・?>

そんな事を心に抱いていると、現実の世界でも引き寄せが発生する。

旅人時代、泊めてもらったお宅の奥様がムーミンの大ファンで作者のトーベヤンソンさんに
会いにフィンランドに行った話をしてもらった事があります

さて、現在、サンクスではムーミンキャンペーンの真っ最中。

お弁当などに付いているシール30点で、もれなくスープカップ。
10点で陶器製のムーミンファミリーフィギアが抽選で当たります。

(スープカップの見本には、スナフキンが書かれていなかったので、
あちきは、フィギア応募をしようと思っています)

陶器製のスナフキン、欲しいでガンス(^▽^;)>>

謎の爆発音

シンセサイザー奏者で不思議学にも精通した吉祥姫さんの掲示板で
鹿児島県で飛行機墜落騒ぎがあった事を知った。
下がヤフーで掲示されていた毎日新聞の記事である。

飛行物体墜落騒動:爆発音、情報相次ぐ 炎や煙などは確認されず--頴娃町 /鹿児島
1月24日17時2分配信 毎日新聞


 ◇炎や煙、落下物は確認されず
 22日午後6時40分ごろ、頴娃町の住民から県警指宿署に「小型飛行機のようなものが墜落したようだ」と通報があった。付近の住民から「ドーン」という鈍い音が聞こえたなどの情報が相次いだため、県警や消防は航空機や何らかの物体が落ちた可能性もあるとみて、22日夕から23日午後にかけて同町松永地区を中心にヘリコプターなどで捜索したが、炎や煙、落下物は確認されなかった。
 県警や消防によると、通報と同時刻ごろ、松永地区から北北西約6キロの赤石鉱山で発破作業があった。地区住民は「風向きによって、爆発音は聞こえる」という。鹿児島地方気象台によると、当時の風向きは枕崎市で北北西の風3メートルだった。また、鹿屋市の海自鹿屋航空基地は、通報の10分ほど前に基地上空を米軍のC130輸送機が薩摩半島がある西へ向かって飛行していたことを確認しているという。頴娃町尾曲地区の農業の女性は「雷が落ちたような音がした。隣の人も音を聞いて外に出ていたが、何も見えなかった」と話した。
 鹿児島空港(霧島市)や枕崎空港(枕崎市)、鹿屋航空基地では、発着の航空機などで行方不明になっているものはないという。【川島紘一】

1月24日朝刊
 

最終更新:1月24日17時2分
 

南日本新聞の記事はこちら↓
http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=2461

怪音は私も数年前、聞いた事があるが、その時は隕石に起因する現象として
説明がされていた。

今回の鹿児島の一件は、はたして・・・

風林火山・信玄の末裔に会う

イメージ 1
私の取材は、突発的な場合が多い。

突発的に取材など出来るの?と思われる方もいるとおもうが、
房総の情報誌での私の連載記事は、すべて私自身が毎回企画を考え
動いている。だから面白ければ急な方向転換もアリなのだ。

過去12年間の連載中、7割くらいは、アポなし取材だ。

インスピレーションや不思議な出会いのスパイラルに身を任せ
ているうちに、いつの間にか取材が終わっている。

この日の取材もそうだった。

2001年9月某日、千葉県長生郡長南町の田園に立つある看板が気になったので

車を止め、御近所に聞き込みにいった。

その看板には、
武田信玄公ゆかりの地

武田信玄 晴信―――甲斐国主
  三男 豊信―――長南城主
   孫 氏信―――長南城主 嫡男
信玄公も絶賛した 三男、孫、家臣団の安住の里

長南町小沢 営農組合

何軒かの民家を訪ね歩き、この看板を立てたのがA氏だと知る。
さっそく、Aさん宅を訪ねると、丁度ご主人が在宅していた。

看板について尋ねると、Aさんは仏壇の下から古文書などを
引っ張り出し、説明してくれた。

「この地にあった長南城(昔は庁南)は、武田一族が城主。特に5代
当主、武田豊信は、信玄の三男に当たります」

なに~、信玄と聞き、甲斐の国ばかりを想像してしまったが、
房総にもその一族がいたんだ・・・。

俄然興味が湧いてきた。

実はこのAさんは、長南武田氏の家臣団の子孫だった。
ちなみに、看板は地元長南町のPRと農産物販売のために立てたそうだ。

このAさんが在宅していなければ、ここまでの話はゼロ。
ここから出会いのスパイラルが展開するから人生は面白いのである。

Aさんは、一通りの説明を終えた後、
「近くに豊信氏(信玄の三男)の子孫で、本を出された医者の先生が
いるから行ってみるかい?」と言ってきた。

願ってもないチャンスである。

一人目の武田一族の末裔


Aさんが紹介してくれた方は、長南町で医院を開業する
永嶋信恒さんである。
(この時、70代後半と思われる年齢だったと思うが、多弁でかなり頭の回転の良い方だった
と記憶する。鼻のあたりが武田信玄にどことなく似ていました)
永嶋さんは幼い頃、父親から

「お前たちは、甲斐武田一族の末裔だ。誇りをもって生きろ


そして、系図を元に歴史を書き残せ」



と言われた事が頭から離れなかった。永嶋さんは、仕事の合間を
みては、武田一族ゆかりの地を訪ねたり、書物を紐解き、研究を
続け、平成12年に
「戦国大名房総武田氏と信玄」という538ページにも及ぶ、大歴史書を
自費出版したのだった。

この本には、戦国の世で約140年間に渡り、上総国を統治した房総の武田
一族の活躍、各家の系図、浮上していない新事実などが丁寧に書き込まれている。

本には現在の末裔たちに関する話も書かれている。
それによると、武田一族の子孫たちの多くは、各地で医師として活躍しているようだ。

みなさん、これは、なぜだと思いますか?

答えは・・・

「名前の規制があった徳川時代、姓を名乗る事を許されたのが医者でした」
「祖先たちは、武田の名を絶やさぬ強い思いがあり、医者を目指したのでしょう」
と永嶋さん。

(この一族愛には、ちょっと感動しました。)

永嶋さんの家系で武田を継いでいるのは、お兄さん。
お兄さんは、演劇や脚本の道で名を馳せた方だ。また、その奥方は
女優の本間文子さん。現在の活動状況は把握していないが、あの黒澤作品の
羅生門(1950)や新しいところでは、夢(1990)に出演されている。他にも
たくさんの作品に登場しているようです(昔のゴジラシリーズにも)。

羅生門を検索していて面白い事が分かった。

この黒澤作品がヴェネチア映画祭グランプリを受賞した9月10日(1951)は、
奇しくも武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦の月日と同じだった。

素晴らしい、この本に興味のある方はこちらへ↓


こうして、武田一族について、たくさんの知識を得る事が出来ました。

長南武田氏18代目、信玄から15代目の永嶋信恒先生、そしてAさん、感謝いたします。

このあと、私は長南武田一族の眠る大林寺で手を合わせるのでした。

二人目の武田一族の末裔


これらの出会いから、隣町の茂原市にも武田信玄の五男、
仁科盛信の子孫がいる事が判明。しかもこの方の家には、
信玄や盛信画像が伝わっているという。
イメージ 2
▲仁科盛信画像

仁科盛信とは、信州高遠城主である。

高遠城については↓(行ってみたくなります)
http://www.cablenet.ne.jp/~siro4/takatou.htm

貴重な絵という事があるので、この場合は連絡を入れ、2、3日後に見せて
頂いた。末裔である○○○さんも、人のために尽くす仕事をされていた。
祖先に関わる話をしてくれた後、特別に保護紙に包まれた信玄画を見せてくれた。

保存状態は良く、
諏訪法性の兜をかぶり、大きな軍配を持ち、法体姿。
威厳という名のオーラを放つ信玄がいた。

イメージ 3
▲武田信玄画像

○○○さんによると、高遠城に織田勢が迫った時、盛信は
妹に八歳になる自分の子、信正を託し、城から落ちのびさせた。
この絵は、信正が
上総の長南城に逃れる際の、身の証だったという。

そして、また○○○さんも、

「うちの先祖は、偉人盛信だが、けっしてそれを鼻に

かけるような行いはするな」と言われて育ったという。


このような教育、そして人のためになる仕事をしている信玄の末裔たち。

改めて武田一族の凄さを知った思いであった。

今回の記事は「ぐるっと千葉」2001年10月号に掲載されたものに
加筆したものです。

戦国の世を生きた各武田一族の魂に合掌。冥福をお祈りいたします。






 

再び、更新予告

この一週間、コマギレ仮眠で文章やカラーイラストを書いています。

ブログの簡単な書き込み程度は出来るのですが、

ちゃんとした更新は出来ない状態にあります。

先日、予告をしているだけに早くアップしなければという気持ちがあります。

明日で今の缶詰状態から解放されると思います。

したがって、明後日、

風林火山・武田信玄の子孫に会う


をアップ致します。
メッセージ
プロフィール

aizufuji0624

ギャラリー
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
  • 越後路に光を求めて2日目(研修生との出会い)
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

カテゴリー
アーカイブ
読者登録
LINE読者登録QRコード
  • ライブドアブログ