ふじたいらの道草日記

自由にライターしています。旅、古代遺跡、UFO、大自然、昆虫、地震雲など、いろいろなモノに興味深々。楽しく、不思議でワクワクするようなネタを公開していきたいと思います。

2012年01月

懐かしの標本

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この標本は、現在採集禁止になっている

ミクラミヤマというクワガタです。
 
ブログ仲間のハルさんがミクラミヤマの記事をアップしていたので、
 
私も紹介しようと思いました。↓ハルさんのブログです。
 

2002年に東京都御蔵島で暮らしていた親友が送ってくれました。

大きさは30mm弱。

珍しい黄紋が入ったタイプです。
 
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30匹位の中に1頭だけまぎれていました。

採集者は、当時保育園児だった長男のさとし君。

通園途中にある竹林の中をトコトコと歩き回っていたところを

捕まえたそうです。

ミクラミヤマは長生きしないので、すぐに死んでしまいましたが、

大切なプレゼントなので、標本として残してあります。
 
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可愛くて不思議なクワガタ、

自分でも捕まえてみたかったなぁ・・・

南房総は、ちょっと早い春

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この間の日曜日、
 
私の記事にお便りをくれた読者の方と
 
山登り取材をして来ました。
 
水仙の里にある山だけあって、
 
山の斜面は、たくさんの白と小さな黄色で彩られていました。
 
 
房総半島の南部は
 
すでに春を迎えています。

取材帰りに見た落陽

1月13日は、今年一発目の取材で
 
房総半島は鋸南町へ-。
 
この日の目標を一通りクリアし、
 
海沿いの道を走っていると、美しい夕焼けが!!
 
思わず、車を止めて
 
太陽が落ちていく姿に見入ってしまいました。
 
写真はうっすらと見える富士山と伊豆半島に沈んでいく夕陽です。
 
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一応、チェックはしてます怪しい雲

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1月12日、久々に緊急地震速報が流れた。

結果、茨城県と福島県で震度4を観測した。

で、地震雲は出てたんかい?と言われたなら、もちろん出ていた。ここ数日間は朝、昼、夜と気になる雲を見る事が出来た。
ただ、最近は、ゆっくりと空を撮影する時間がないので、多くの写真は撮っていない。

この二枚は、11日の昼前に携帯で撮ったものです。

後だしになりますが、一応気になる雲はチェックしているという報告です。

天宮さんの香港国際UFO会議レポート№4

このレポートは2011年12月10日香港国際UFO会議にパネラーとして
 
参加された奈良県天理市のUFO研究家・天宮清氏による参加レポート
 
を私が編集したものです。
 
レポート№1↓
 
レポート№2 ↓
 
レポート№3↓
 
 
 

記者会見  press conference
 
 次の記憶は、正式な記者会見として、我々が席に付き、
香港のUFO学会(空飛ぶ円盤に相当する単語が日本語にはないため、
UFOとする)の男性、北京からの張靖平氏、
オーストラリアから来たハンガリー系オーストラリア人Laszlo Novak
などが並び、方仲満女史は部屋の端に立って通訳に任に就いた。
 
 彼女は英語を現地語に、現地語を英語に、すばやく通訳した。
 
 私はそれまで熱心に語っていたUFO現象や体験から一転して、
 
 
核兵器問題へ話を移した。
 

 
1.日本の原子力発電所の事故によって、放射能被害が拡大した。
原子力と原子爆弾が、人類にとって大災害もたらす。
 
 
2.UFOは人類の核兵器開発に関心を示した。
英国におけるレーダー面「U=Z」のサイン事件があったことも話したと思う。
 
 
3.ロスアラモス、ハンフォード、アラモゴルドなど、
核兵器製造の周辺にグリーン・ファイアボールが現れた。
通訳のマディソン・マンは地名の翻訳で少しつかえた。
 
 
4.太平洋水爆実験でもUFOが現れた。
マディソン・マンは少し理解に時間を要した。
 
 
5.米国の核ミサイル基地では、
ミサイルの発射機能がUFOの出現によって停止した。
 

 
 米国には軍事機密となっていた隠れたUFO事件があった。
それらの多くは報告しても記録されなかった。
しかし、体験者は40年を経て、証言した。
その証言者を追跡したのがロバート・ヘイスティングスである。
 
 
  現地語から日本語へ、日本語から現地語への通訳は私の背後に控える
マディソン・マンによって行われ、それが方仲満女史によって英語に翻訳されて、
Laszlo Novakの理解の耳にも届いたが、
このことでLaszloが私の話の途中に割り込んだ。
 
「オーストラリア空軍におけるミサイルとUFO事件」の
挿入発言に時間が少し奪われた。
 
 マディソン・マンに「私の話は、Laszloの言うthe sameではない。」
というと、彼も理解を示し、そして言った「Laszloは話したがりやですね」
 
 
 女性記者から質問があった。
 
「UFOはどのようにして、ミサイル発射機能を停止させたのか?
 
私はこう説明した。
「ミサイルの発射装置は電子部品で構成されている。
ある部分に未知のノイズが侵入して機械が誤作動した。
UFOは電子機器に影響を与える。
(私はバッグから磁石を取り出して見せながら)
私はこの磁石を岩の上に置いて観測した。満月大のUFOが現れて空に滞空した。
その時、磁石の針が動いた。これは誰でも実験できる」
 
 
 この発言が隣の陳功富教授を刺戟して、
彼のUFO論がしばらく展開した。
 
 私の前にノートに書かれた質問事項が提示された。
 
私は中文で書かれた質問事項に中文で回答を記入。
隣の陳功富教授が熱心にそれを見ていた。
 
 次に質問の項目を英語にして読み、
 
まず「仏教は科学か?」という質問に「Yes」と「是」を書き、
何かしゃべったのだか、正確な記憶はない。
 
次に「外星人は神か?」回答は「Yes」と「是」を書いた。
 
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私の答えは日本語で語られ、
それをマディソン・マンが現地語に翻訳したと思う。
 
私は宇宙に高度に進化した知性があることを英語で語った記憶もある。
また、この時も隣の陳功富教授が持論を展開した。
 
 また方仲満女史も議論に参加し、一時白熱した。
私は手を上げて立ち上がり、「私は思う。宇宙は家族だ」と言い、
記者たちを指さしつつ
「バイブル ロウト ジーザズ セッド ユーアー ガッド」と言うと、
何人かが驚きつつも沈黙の同意を示した。
 
 
 私は怪奇的エイリアンイメージに抵抗を示すことで、
自分の立場を演出した。(これは、マスコミや映画等によく登場する
グレイと呼ばれる頭のでかい小人型宇宙人を指しています(編より))
 
 我々が熱の入った討論
(実はオーストラリアのLaszlo Novakの発言が長かった。
熱心さは認めるが、彼の話す内容は議題から外れていた)
が終りかけた午後6時ころ、
孫式立、呂応鐘という中国・台湾の最高実力者が到着した。
 
このとき、私の役目は終っており、彼らを中心にした討論を聞く側に回った。
 
 
 
会食の場で見たLaszlo Novakの撮影装置
 
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記者会見を終えて、我々は九龍湾国際展貿中心内のレストランで会食した。
私の右手にハンガリー系オーストラリア人のLaszlo Novak
左手にハルビンの陳功富教授が座った。
 
 まず、陳功富教授とUFO英単語と筆談を交えた情報交換をした。
彼によると、201199日、華北で若い婦人が菱形のUFOと、
その周囲を巡る小さなUFOを目撃したとのことで、
彼がその図を私のメモ帳に描いてくれた。
 
 
 また、彼は現在、『中国UFOファイル』を執筆中で、
次に『世界UFOファイル』を出版し、さらに『聖書空飛ぶ円盤学』
の出版にとりかかるという。80万字で図が豊富だとのこと。
 
 また、20121222日に惑星ニビルが
地球に接近して地球が洪水に見舞われるとか、
エロヒムは神、上帝である、といった話をした。
 
 しばらくして小太りの40代と見える男性が私の席に来た。
彼は後刻、黒塗りのメルセデスベンツを運転して、
我々を九龍湾国際展貿中心から宿泊先の逸東酒店
 Eaton Smart: 380 Nathan Road,Kowloon)へ輸送してくれた人である。
 
 彼は日本語で自己紹介した。
 彼の話によると、かつて日本で働いたことがあり、
そのとき、香港の仲間とバス旅行中、
富士山の近くでUFOらしきものを見たことがある、とのことだった。
 
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「それは何年のことか、大体でよい」と言うと
2006年の2月、中国の正月であった」という。
 
彼の名は張学釣(41)で、
バスがある山の周辺を回っていて、その山の上に白い台形が見え、
バスの窓から見ていると、見えるときと見えなくなるときがあって、
それを23人で見ていたとのこと。
彼は小学校の頃からUFOに興味があり、
この形と静止状態の動きは飛行機ではない、と確信しているとのことであった。
 
 私は彼としばらくUFOについて話をし、
彼にDVDを送る約束をして名刺を貰った。
(12月13日に発送定形外航空便 34g 220円)
 
 記者会見席でもLaszlo Novakは、自分の記事が載った新聞やUFO誌を見せながら、「このUFOはサイズがどのくらいで」と盛んに説明するのだが、
私には彼の言う「UFO」は黒い空を背景にオレンジと赤のカラフルな光体ではあるが、スローシャッターで光が伸びたようにしか見えない。
 
だいいち巻尺で物体を実測してもみないのにサイズなんか判るわけはないのに、
それを言うこと自体、レベルが知れる。
 
 
 彼はテーブルの上にノートパソコンを置いて立ち上げ、
「映像」を見せてくれた。その特殊なモノクロ画像は、
一見して「赤外線映像」らしく見える。
 
 彼がビデオカメラ2台を一枚の板に載せ
(2台ともソニーで、1つは新品なら昔30万以上で売り出された大型のもの)
その片方のカメラにサングラスのようなフィルターを装着して撮るのだという。
サングラスを手に取って見たが、まったく向こう側は見えない
 
私はマディソンマンに、
「このフィルターは、昔天体望遠鏡で太陽を観測したときに使った
サングラスのように思えるが、こんな黒いフィルターを装着して
昼間の空が撮れるとは考えにくい」と感想を述べた。
 
 
 また、パソコン画面に見る、確かにUFO的な丸みを帯びた移動物体は、
ファインダーで見ながら追尾しているのではなく、
単に空を長時間撮影した中に映り込んでいた不審な像を、
トリミング追尾したようで、やや画質が悪かった。
つまり全角のビデオ映像ではなく、部分的に物体の動きを追尾したように見えた。
 
 
 彼は「何百本も撮っている」というが、
つまり空を撮影したビデオの本数を言うのだろう。
日本にも空を長時間撮影して、その中から不審物を探すUFO撮影家がいた。
 
 とにかく、彼の「熱心さ」には敬服するしかない。
重たい撮影器材を持ってきている。撮影夫婦には違いない。
奥さんもビデオカメラを持ち、
記者会見で彼は、大きな三脚で我々を遠方から撮影していた。
 
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会見の席でも、2度ほど席を立ち、
三脚にそばに行ってテープの交換を行ったから、
かなり慣れていることは確か。
 
私の場合はこういうとき、ついテープ交換を忘れてしまう性質だ。
 
つづく 
 

すっぱい・・・けど、うんま~い

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本日は別仕事。
 
その職場で時々顔を合わせ、
 
お笑いトークを交わす女性から
 
手作りジャムを頂いた。
 
なんでも、自宅の庭に生っている柚子を使った
 
完全無農薬のジャムだとか。
 
 
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スプーンで
 
 
サラッと掬い口の中へ。
 
 
・・・すっぱい
 
 
・・・けど
 
 
・・・さっぱり
 
 
とろみがいい(^v^)
 
 
結構イケルやん!!
 
 
食パン買ってこよ~っと
 
 

天宮さんの香港国際UFO会議出席レポート №3

 

このレポートは、香港での国際UFO会議にパネラーとして
 
参加された奈良県のUFO研究家・天宮清氏から送られてきた
 
ファイルを編集したものです。
 
文章については、強調や段落変えをして編集をしていますが、
 
内容はほぼオリジナルのものです。
 
では、日本で報道されていないUFO国際会議へ-
 
 レポート№1↓
レポート№2↓
 


 
 
 
 
■九龍湾国際展貿中心まで
 
入国手続きを終えて、柵にむらがる歓迎人の人並みを見ながら歩くと
 
「香港UFO」のチラシを持つ若い男性を見つけた。
 
これで安心。時刻は午後2時を回っていた。
 
 彼の名はJosh Lee、彼が示す身分証明書を見ると、
 
本業はキャセイ航空の社員であった。
 
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簡単な英会話で我々は意思の疎通を行った。
 
「車で行くのか?と聞くと「トレイン」だという。
 彼が切符2人分を買い、少し歩くと地下鉄の改札口があった。
 
 彼は私に「お金は入りません」と真っ先に言った。
 
 
すべての費用は(ペットボトルの水も含めて)彼らの経費から出て、
私のような講演者には一切金は使わせない、という厳格な方針を感じた。
(実は滞在ホテル前のセブンイレブンで何か買うか、
或いは空港で土産を買うかと、関空の両替所でホンコンドルを少し手にしていたのだが、実際は、その金と協会から貰った航空運賃を全て帰国してから日本円に全額両替した。香港において、私の財布から現金が出ることはまったくなかった。)
 
 
地下鉄の中で、私がいつからUFO研究を始めたとか、
 100回以上目撃したとかカメラやビデオにも撮影しているなど、
 自慢話を始めると「私もUFOを二度見たことがある」という話になった。
 
 私は彼にメモ帳を渡し、その図を記憶の中から描いて欲しい、と頼んだ。
 Joshの体験は、1987年頃の夜9時、
 九龍湾のビル街に金色の垂直なビームが空に向かって伸び、
 近くの空間から点のような小さな光がビームに接近して
 急速にビームに沿って上昇した、というものであった。
 
 
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 私はついでに、「今日、香港近くで葉巻型を見た」
 
と図を示して説明した。
 
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 I will be with you all the way in this 2days to take care of you 
彼の任務であり、私が帰国するまで、私に付き添ってくれ、
資料の配布など私が希望する仕事を完璧に果たした。
 
 「午後3時から記者会見があります。」とJoshは言った。
 
私は初めて知らされた形だが、
 このような行事にはマスコミへの説明は当然のことだから、
 通訳無しだったらどうなるかな、と緊張した。
 九龍駅で降りて、タクシーで九龍湾国際展貿中心に向かう。
 建物の全体はわからないが、とにかく大きな建物である。
 まず正面玄関で私の写真を撮ってもらう。
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中に入ると、巨大な吹き抜けの空間があり、おおっと驚く。
エレベーターで3Fに行く。
 会場のフロアは広い。
 その右手奥の部屋が記者会見の場で、椅子が並べられ、
 正面に講演者の名前のプレートが立つ長いテーブルがあった。
 
 
■多くの若者との出会い
 
とりあえず一番前の椅子に腰を下ろすと、
 魅力的な笑顔の女性スタッフが挨拶に来る。
 恰も旧知の間柄のように親しげである。私はちょっとたじろぐ。
 
 やがて方仲満女史が私の前に現れた。
 彼女は2005年の大連における若々しさから、少し加齢を感じる顔に変化していたが、
 感謝の気持ちが溢れていて感動的な再会であった。
 
 そして、小柄な少女が私に紹介された。
 
眼鏡をかけて知的な印象だ。彼女は、私が何回にも分割して
eメールで送ったパワーポイントを受けて、
それをつなぎ合わせて整理したのであった。
 
 講演会では舞台裏でパソコン作動を監視し、不具合や順番の調整を行った。
  記者会見室には50席ほどの椅子が並べられ、
 正面の長いテーブルに講演者の名前のプレートが立っていた。
 
私はまず最前列の椅子に座った。
 まず、すでにその場に到着していた
 
ハルビン工業大学の陳功富教授と挨拶を交わした。
 
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「ニーハオ」を繰り返して笑い顔を見せ、握手する。
 
彼が携えてきた著作を見せてもらい、その中
の一冊を私にくれるというので、私はバッグの底から
『UFOと核兵器』を出して「エックスチェンジ」と言って彼に渡した。
 
その本の交換やお互いの本を持つ記念写真が、
多数のカメラマンによって撮影された。
 このとき、すでに日本語の達者な男性が、記者会見の場に来ていたと思う。
 
私は彼の風貌と態度、言葉遣いを見て、
 
「これは奇跡だ」と思い身が震えた。
 
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まったく、彼は私の香港活動に不可欠であった。
 感激して思い余った私が、通訳料の供与を申し出ると、
 「とんでもない」と断固断り
 「これも何かの縁ですからボランティアさせて戴きます」と言った。
 彼の通訳力がまず発揮されたのは、
 正式な記者会見問答の場で、私の背後に控えて、
 記者からの質問を常に翻訳し、
 次に私の発言を現地語に翻訳してくれた場であった。
 
 いま、メモ帳を見ると彼は「通称マディソン マンです」と言い、
かなり後になってから、実名は「何何です」と漢字表記を言ってくれたが、
その漢字を記録していなかったので、「徳川家康の何の文字と同じ」
という彼の印象的な表現の言葉しか記憶にない。
 
彼からメールが届くことを神に祈っている。
 記憶は定かではないが、
 私が「ワンハンドレッド・オーバー・タイムス」とか
 「地震とUFO」など記者からの質問に答えつつ説明していた延長で、
 
私はCBA(ホテルの部屋での儀式用)の
 入ったポーランドのRobert K. Lesniakiewiczの白い封筒の上に、
 様々なUFOに関する図形を描いて説明していた。
 
 私の周囲に人が集まり、
 
質問する女性に応える形で、私は白い封筒の表に図を描き、
 
 
そのたびに周囲から図面に向けてカメラのストロボが光った。
 
 
つづく
  
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